スーパーカブで日本一周
523日間に渡ったスーパーカブ90での日本一周の記録、およびその後日談を語ります。
あの日、旅空の下で 27.大東島紀行⑧
北大東島で宿泊したのが「民宿二六荘」だ。島には宿泊施設が二軒しかなく、もう一軒の方は料金がやや高めな上に余りに近代的できれい過ぎて離島の旅の雰囲気と合致しないので、事実上選択肢は他にはない。



宙吊りの檻から降ろされて無事に島に上陸すると、港には迎えの車が来ていた。乗り込んだのは私一人。この日は西港に上陸したので二六荘は目と鼻の先。歩いて行ける距離だったが、船がどの港に着くかは当日その場にならないと決まらないわけだから、とにかく車を出して客を迎えに行くのが習慣というか当たり前になっているのだろう。
宿には看板もなく、一見するとこれが宿泊施設なのかどうかも分からない。中庭のような佇まいの空間を挟んで、両側に宿泊する部屋とおぼしき建物と食堂や売店などが向かい合わせに建っていて、どことなくのんびりした独特の雰囲気が好ましい。

大きな一つの建物ではなく、小さめの民家のような平屋の建物が幾つも建っていて、つまり部屋はそれぞれ離れというわけだ。離れなどと言うと聞こえはいいが、だだっ広い敷地に幾つかの建物がそれぞれてんでに建っている、と言った方がいいだろう。全体的にいかにも離島らしい大らかさが漂う。
看板がなければ帳場もない。まず食堂に通された。最近はめっきり見なくなった、使い込まれて古いテカテカのカバーが掛かった大きなテーブルが幾つも並ぶ。巨大なヤカン、ポット、大量の湯呑み、醤油など調味料が置かれている。この食堂を見るだけでも、観光客などは殆どおらず、宿泊者の大半が仕事のために長期で滞在している男達なのだと分かる。

庭とも建物と建物の間の空間とも言えるだだっ広い食堂の裏手を歩くとその事がよりはっきり分かった。あちこちにロープが渡され、多くの洗濯物が干されている。作業着をはじめ男の物ばかりだ。片隅には何台もの洗濯機が置かれていた。無料で使えるであろうことは聞くまでもなかった。ここはかつては燐鉱石採掘のための宿舎だったのだ。
こういう雰囲気は好きだ。きれいな観光客向けの宿なんかに泊まるよりも、島の日常に触れることが出来る。
そうはいっても宿は宿。古いながらに部屋では快適に過ごせた。一人寝るだけに八畳の部屋は広過ぎて落ち着かないくらいだ。冷房もしっかり効いた。テレビを点けると、首都圏のニュースをやっていた。大東島は沖縄ではなく東京の電波を受信しているのだ。
時は4月の半ば。コートを着込み、背中を丸めて歩く人々の姿が映し出されていた。明日も気温が上がらず寒い一日だと伝えるニュースを、冷房を効かせた部屋でパンツ一丁の姿で見ていた。こんな時にかえって東京からも沖縄からも遥か離れた絶海の孤島にいるのだと実感してしまう。

夕食はもちろんこの宿の食堂でいただくしか選択肢はない。簡単なサラダとカツ、ご飯と味噌汁。これだけである。ただしきちんと冷えて美味い生ビールが飲めたのはよかった。そこはやはり働く男達の宿舎である。その作業着姿の長期滞在組は焼酎をポットの湯や水で割って飲んでいた。焼酎はどこで入手するのかと言えば、併設の売店である。

一昔前の雑貨屋そのものである。ただし雑貨屋と違うのは、酒やパン類が売られている点だ。翌日の昼食はこのパンに世話になった。
夕食を食べてしまうと、もうあとはやる事がない。散歩でもしようかと思ったが、宿から十数歩歩いただけで道の端が分からぬくらいの暗闇になってしまい、散歩は不可能だった。そうなるとあとは部屋の入口に置いてある漫画を読むかとっとと寝てしまうかだ。生態系の違うはずの北大東島だが、ヤモリが多いのは沖縄と一緒だった。
キキキキッキッ…というお馴染みのヤモリの泣き声を時折波の音がかき消す。それも、浜に打ち寄せる優しい波の音とは根本的に異質なものだ。外洋の荒波が数十mの断崖に打ちつけられて波濤が砕ける、どこか心の底をざわざわと不安にさせるような重い音なのだ。その音を聞きつつなかなか寝付けないまま、漆黒の孤島の夜は更けていくのだった…

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宙吊りの檻から降ろされて無事に島に上陸すると、港には迎えの車が来ていた。乗り込んだのは私一人。この日は西港に上陸したので二六荘は目と鼻の先。歩いて行ける距離だったが、船がどの港に着くかは当日その場にならないと決まらないわけだから、とにかく車を出して客を迎えに行くのが習慣というか当たり前になっているのだろう。
宿には看板もなく、一見するとこれが宿泊施設なのかどうかも分からない。中庭のような佇まいの空間を挟んで、両側に宿泊する部屋とおぼしき建物と食堂や売店などが向かい合わせに建っていて、どことなくのんびりした独特の雰囲気が好ましい。

大きな一つの建物ではなく、小さめの民家のような平屋の建物が幾つも建っていて、つまり部屋はそれぞれ離れというわけだ。離れなどと言うと聞こえはいいが、だだっ広い敷地に幾つかの建物がそれぞれてんでに建っている、と言った方がいいだろう。全体的にいかにも離島らしい大らかさが漂う。
看板がなければ帳場もない。まず食堂に通された。最近はめっきり見なくなった、使い込まれて古いテカテカのカバーが掛かった大きなテーブルが幾つも並ぶ。巨大なヤカン、ポット、大量の湯呑み、醤油など調味料が置かれている。この食堂を見るだけでも、観光客などは殆どおらず、宿泊者の大半が仕事のために長期で滞在している男達なのだと分かる。

庭とも建物と建物の間の空間とも言えるだだっ広い食堂の裏手を歩くとその事がよりはっきり分かった。あちこちにロープが渡され、多くの洗濯物が干されている。作業着をはじめ男の物ばかりだ。片隅には何台もの洗濯機が置かれていた。無料で使えるであろうことは聞くまでもなかった。ここはかつては燐鉱石採掘のための宿舎だったのだ。
こういう雰囲気は好きだ。きれいな観光客向けの宿なんかに泊まるよりも、島の日常に触れることが出来る。
そうはいっても宿は宿。古いながらに部屋では快適に過ごせた。一人寝るだけに八畳の部屋は広過ぎて落ち着かないくらいだ。冷房もしっかり効いた。テレビを点けると、首都圏のニュースをやっていた。大東島は沖縄ではなく東京の電波を受信しているのだ。
時は4月の半ば。コートを着込み、背中を丸めて歩く人々の姿が映し出されていた。明日も気温が上がらず寒い一日だと伝えるニュースを、冷房を効かせた部屋でパンツ一丁の姿で見ていた。こんな時にかえって東京からも沖縄からも遥か離れた絶海の孤島にいるのだと実感してしまう。

夕食はもちろんこの宿の食堂でいただくしか選択肢はない。簡単なサラダとカツ、ご飯と味噌汁。これだけである。ただしきちんと冷えて美味い生ビールが飲めたのはよかった。そこはやはり働く男達の宿舎である。その作業着姿の長期滞在組は焼酎をポットの湯や水で割って飲んでいた。焼酎はどこで入手するのかと言えば、併設の売店である。

一昔前の雑貨屋そのものである。ただし雑貨屋と違うのは、酒やパン類が売られている点だ。翌日の昼食はこのパンに世話になった。
夕食を食べてしまうと、もうあとはやる事がない。散歩でもしようかと思ったが、宿から十数歩歩いただけで道の端が分からぬくらいの暗闇になってしまい、散歩は不可能だった。そうなるとあとは部屋の入口に置いてある漫画を読むかとっとと寝てしまうかだ。生態系の違うはずの北大東島だが、ヤモリが多いのは沖縄と一緒だった。
キキキキッキッ…というお馴染みのヤモリの泣き声を時折波の音がかき消す。それも、浜に打ち寄せる優しい波の音とは根本的に異質なものだ。外洋の荒波が数十mの断崖に打ちつけられて波濤が砕ける、どこか心の底をざわざわと不安にさせるような重い音なのだ。その音を聞きつつなかなか寝付けないまま、漆黒の孤島の夜は更けていくのだった…

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