スーパーカブで日本一周

  523日間に渡ったスーパーカブ90での日本一周の記録、およびその後日談を語ります。

旅人の系譜① ~我こそは天才なり~

観光地の駐車場で声をかけてくれる人、旅先で暖簾をくぐった居酒屋の主人、道の駅で車中泊をしているおじさん…日本一周の旅では様々な人との出会いがありましたが、特に北海道のキャンプ場やライダーハウス、沖縄のゲストハウスでは同じように長く旅を続けている人、いわゆる旅人との数多くの出会いがありました。
そんな旅人達と言葉を交わしていく中で、自分にとっては意外だったある事を発見したのです。

自分と同じように長期の旅、日本一周の旅をしているような人の多くはこれまで特に旅が好きだったわけでもなく、長期の旅はもちろん一人旅も初めて、という人が大多数で、自分のように昔から旅が大好きという人間は少数だという事です。
今までやったことのないような事をやりたかった、とか、会社を辞めて今一番やるべき事を考えたらこうなった、とか。これに対して私は「長年やりたかった夢を実現した」という思いでした。
そこにはかなり大きな違いがあります。まず私から言わせてもらうと皆驚くほど地理に疎い。日本全国の主要な都市どころか、県の名前と場所すら完全には把握していない人がいるのです。
むしろそういう方が羨ましい、と思う一方、こと旅に関して言えば自分は超ベテラン、素人じゃあないな、という事が分かったのです。ある宿で人生の先輩から「君は旅のエリートだ!」と言われた事がありました。なんだか笑ってしまうような酒の席での一言ですが、妙に心に残っています。
ではそんな私自身はどんな旅人歴を刻んできたのか、僭越ながら振り返ってみたいと思います。私よりもエリートの人がいたら是非、話を聞きたいです(謎笑)



初めて一人旅をしたのは6歳の時でした。
この話をすると多くの人が驚き、エリートおじさんに感心されたのもこの話をした時です。
家族で週末に熱海へ行くという時でした(なんというベタな昭和!)。どうしても現地集合にしてくれ、と親に懇願し、電車賃をもらって、父の友人の車で現地へ向かう両親と妹を尻目に一人出掛けました。今でもよく覚えています。新宿から小田急のロマンスカーに乗り(今はなきSE車!)、何故か新松田で下りて御殿場線の松田駅へ乗り換え、そこから国鉄で熱海へ向かいました。何故ロマンスカーで小田原まで行かずにそんな面倒な事をしたのか、そこは覚えていないのですが、とにかく無事熱海駅まで迎えに来てくれた両親と合流しました。

この時の余りの面白さに一人で移動する事に小学一年生で早くもハマッてしまったのです。
当時群馬県は高崎市にある母親の実感に頻繁に遊びに行っていたのですが、これも何度も一人で行きました。その頃は東京の板橋区に住んでいたのですが、池袋まで東武東上線、池袋から赤羽線に乗るか、国際興業(だったか?)のバスで赤羽駅まで行き、そこから高崎線の急行に乗って向かうのです。特急に乗りたさにわざわざ上野駅まで行ってから高崎まで行くこともあったし、普通列車で行くこともありました。当時新幹線の開通前で優等列車がそれこそ頻繁に発着していた上野駅ですが、その独特の雰囲気に子供ながらに心奪われたのは言うまでもありません。

小学生の頃の最長記録は、一人で仙台まで行ったことです。
最初に家族で仙台の従兄弟一家を訪ねたのですが、この時は家族四人揃ってでした。例によって私は「自分は現地集合にしてくれ」と頼んだのですが、この時は叔母のはからいで事前に特急「ひばり」の切符を四枚もらっていた(しかもグリーン車!)という事情があり、親に却下されました。
この時余りに悔しかったので、翌年の夏休みに一人で仙台を訪ね、最履を果たしました。一つ違いの従兄弟が居たからもともと仙台には行きたかったのですが、家族からは大義名分呼ばわりを(^^;
この時は黒磯までは急行「まつしま+ばんだい」に乗り、そこから先は普通列車を乗り継いで行きました。当時東北本線の交流電化区間の普通列車は旧型客車を使った機関車牽引列車だったからです(^^;;
そんな私も中学生になると一旦旅は沈静化します。しかし、高校生になったところでさらに劇的な進化を遂げるのでした。
(つづく)





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旅人の系譜② ~汽車旅と周遊券~

完全に企画倒れとなっていましたが、もう三ヶ月も前にこんな記事を書いていたのです。
今回はその続き、第二章です。



小学生の頃から何度も一人旅をしていた私でしたが、中学に上がるとそれも一旦沈静化します。勉強に部活に忙しくなり…と言いたいところですが、勉強は全然していなかったし部活もさぼってばかりでした(^^;
理由は、なんとなくです(^^;;
そんな私でしたが、高校生になると再び旅人魂が甦り、そして旅が本格化していきます。
高校に入って選んだ部活は、写真部でした。
今となっては写真は好きですが、当時は特別興味があったわけではありません。もともと体を動かすのは好きでないので運動部は論外、さりとて文科系の部活でもこれといってピンと来るものも無い、だからといって帰宅部というのもちょっとなあ(帰って勉強するわけでもないし)…新入生の部活見学期間、私は薄汚い県立男子校の校内をうろうろしながら、考えあぐねていました。

そんな中、ふと目を引いたのが写真部だったのです。写真ではなく「撮影合宿」の文字に。
合宿とはいっても勿論運動部のような汗と辛苦の強化合宿というものとは程遠く、いやむしろ対極と言っていいものでした。つまりは合宿という名を借りた撮影旅行、それに部費で行けるというのです。その事を知った瞬間、もう私の心は旅先の町並みにカメラを向けながら歩く情景で一杯になってしまったのです。こんな上手い話があるものだろうか。
写真部に入部した私を、勿論厳しい事だって待っていました。県立の男子校だけに上下関係は厳しく、また写真の芸術性はともかく技術的な部分には絶対妥協が許されなかったので、文化祭に出展する写真などは先輩全員から合格がもらえないと出展できません。出展できないだけならまだしも、各人決められた出展枚数を守るために何度も何度もやり直しの撮影に行かされました。暗室作業も然りで、技術的に少しでも甘い点があれば何十回でも焼き直しをさせられました。
文化祭前の一ヶ月くらいは徹夜に次ぐ徹夜で、半ベソを書きながら汗だくで暗室にこもったものです。

しかしそんな辛さも撮影旅行の存在の前には些細な事でした。
一年生の時は皆で今はなき夜行急行「能登」に乗って北陸へ。当時は客車列車で、夏季にはディーゼル機関車に交代して七尾線まで乗り入れるという、まさに夢のような時代でした。
そして夢のような時代といえば周遊券です。当時は周遊券という素晴らしい切符があったので、このような中距離の汽車旅も安価に自由に楽しむことが出来たのです。
部費で旅行、とはいっても県立高校なのでたかが知れています。撮影合宿は3泊4日くらいが平均でしたが、宿は一人頭3千円以内、宿を見つけて予約するのは勿論一年生の仕事です。しかしこの撮影合宿のお陰で行動範囲も広がり安宿を見つける嗅覚なんかも鍛えられました。
部活での撮影旅行以外にも自分一人で鉄道であちこち遠出をするようになりました。高校での三年間で、周遊券や青春18きっぷを一体何十回買ったのか、もう思い出すことも出来ません。本当に楽しい夢のような時間で、この高校の写真部時代が私の本格的な旅人としての黎明期だったと言っても過言ではありません。

しかし、勿論ここまではまだまだ旅人としては子供時代です。大学に入り、いよいよ運転免許を取る時がやって来ます。その先には無限に広がる旅の広野が待ち受けているのでした。
(つづく)





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旅人の系譜③ ~車の時代~

運転免許の取得。それは、旅人にとってはまさに革命的な一大事です。人生に例えるなら、結婚して子供が出来るようなものでしょうか。

旅における自由度の高さ、これはもう自家用車そしてバイクが圧倒的である事は論を待たないでしょう。私だって勿論汽車旅やバスの旅も大好きですが、それは車やバイクの旅を一通りやってきたからこそ良さが分かるというもの。「自分の足」を持った時、旅人ならば誰もがその無限の自由に心奪われ、旅にとり憑かれたようになるのです。
かくして私も沖縄県を除く日本中をくまなく車で走り回りました。
大学一年生の時の事です。当時私は鉄道研究会、いわゆる「鉄研」に属して日々サークル活動(?)にいそしんでいました。ようは鉄道趣味人の集まりというわけですが、これが例外なく旅好きな連中ばかり。私と同じような旅のエリートの集まりというわけです。そうなると当然「1+1=3以上」という化学反応が起こります。
そこは時間がたっぷりある大学生ですから、悪ノリの仕方も高校生の時までとは次元が違います。夜中に「ラーメンが食べたくなったから付き合え」と言われて友達の車に乗り込むとそのまま喜多方まで連れていかれたり、ふと行きたくなったからという理由で三人で長崎まで行ってみたり、東北へ行く予定だったのに何故か新潟から北海道行きのフェリーの船上の人となっていたり…と、武勇伝は星の数ほどあります。

それもこれも、すべては自由に移動できる車の力あってこそです。
そして車内で寝る事によって宿泊費をかけずに済むというのも車の旅の大きな利点です。まだ若い二十代の頭の頃ですから、多少窮屈な姿勢で寝ようが少しくらい寝不足だろうが、そこは体力まかせに旅への影響などありません。
そうやって縫うように這うように、日本中をくまなく旅して回った大学生時代ですが、その中でも白眉といえる旅がありました。今でも決して、いや生涯忘れる事の出来ない、今回の日本一周よりも鮮烈な印象で今でもその隅々までよく覚えています。
それが、十人以上の仲間と長期に渡ってテント泊しながら北海道を駆け巡った旅でした。
(つづく)





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旅人の系譜④ ~テントで寝ながら北海道を旅する~

その旅は、大学3年生の時と4年生の時、二年に渡って夏の北海道を舞台としたのです。
当時の「鉄研」の仲間達と実に車数台を連ねて、二週間にも渡り、テントで寝泊りしながら北の大地を縦横に駆け巡りました。
この時の鮮烈な印象こそは今の私のバイク旅、日本一周に直接繋がっている、それは思い出深いものです。

次々と廃止されていった赤字ローカル線の廃線跡を漏れなく巡っていこう、というのが大旅行の趣旨でした。そこは鉄研ですから。これまでに無い大きな規模、大きな企画に皆が心躍らせましたが、宿泊費の節減を図るために夜はテント泊で旅を続けるという事になりました。実は私はこの時までテントという物で寝た事がなかったのです。
鉄道研究会は数十人の会員を擁する大きなサークルで、毎年夏休みには全体合宿というのを行っていたのですが、私が3年生の夏の合宿は北海道は札幌で行われました。
鉄研の合宿なら鉄道に乗って参加するものでは?と思われるかも知れませんが、さに非ず。もちろん鉄道に乗る事こそが大好きという人もいましたが、鉄道趣味というのはそれだけではありません。例えば列車の写真撮影を好む向きなら、むしろ移動はほぼ完全に車になります。切符収集や廃線跡散策などの分野も然り。
かくして札幌での全体合宿の終了後、車3台を連ねた「廃線ツアー」有志9名が地平線の彼方目指して美しい北の都を飛び出していったのです。

私は鉄道好きとはいっても列車と駅舎の写真撮影が専門分野だったので、廃線跡散策には特別な興味はありませんでした。とはいってもそこは「鉄チャン」ですから勿論それ自体は楽しいものでした。
しかしそれよりも何よりも、私は気の置けない仲間と一緒に毎日広大な北海道の大地を移動していく、その旅自体に全身で溶けるように染まってゆきました。実は全体合宿の最終日に体調を崩し、ツアー初日に熱を出している状態だったのですが、二度とこんな機会は無いかも知れないこの旅からの離脱は考えられませんでした。
初日だけは皆と別行動で宿に宿泊、二日目以降もテントではなく車の後部座席で寝泊りをして旅を続けましたが、体調も回復した旅の後半はそれは楽しいものでした。夜は毎晩9人で宴会なのです。これが楽しくないわけがない。
そしてこの北海道の旅は、さらなる進化を遂げて翌年、大学4年の夏に再び行われる事になったのです。
(つづく)





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旅人の系譜⑤ ~生涯忘れられない旅~

大学4年生の夏、北海道は小樽。
舞鶴からの長い船旅を終え、仲間と共に車でフェリー乗り場に下り立った私は、心の隅々まで弾けるような喜びで満たされていました。これから始まる旅が素晴らしいものになるという確信があったからです。
一年前に続く廃線跡を巡る旅。やる事はほぼ変わっていませんでしたが、二回目だけに内容は洗練され進化しました。そして規模もいい塩梅に大きくなった。私はこの日をずっと心待ちにしていたのです。

一年前の前回と同様、鉄研の「全体夏合宿」の後ろにくっ付ける形で行われたわけですが、前回の全体合宿が札幌で行われたのに対してこの年は何と四国。そこから北海道でのツアーに移行しようというのですから、参加した皆の意気込みというか悪ノリが量られるというものです。
私も四国から本州に渡り、さらに本州を北へ縦断して舞鶴の港から小樽行きのフェリーに乗船しました。もうそれだけでもお腹一杯なのですが、圧巻はまだまだこれからなのです。一年前よりもさらに規模の大きくなった旅ながら、参加者は九人から十二人に増えました。実に車四台です。

朝、キャンプ場で目覚めると、一番早起きした者が他のテントの骨組みを外して潰し、中で寝ている仲間を強制的に(本当に物理的に強制的に)起こそうと騒いでいます。
テントを片付ける者、朝食の準備をする者、前夜使った食器を洗う者、車の中を片付けて出発に備える者…
誰が言うでもなく自然と役割分担されて、十二人の大キャラバンによる朝が始まります。
車四台によるつるみ走行が煩わしいかといえば、広大な北海道の原野ではそんな事も全く気になりません。
昼には皆でカップラーメンを食べる事がよくありました。公園でも道の駅でもそこいらの駐車場でも、何処でもいいのです。携帯コンロで湯を沸かし、屋外でわいわいと食べます。
夕方、どこの温泉に入ろうかと議論するのもまた楽しい。皆で一斉に風呂から上がると、夕食の買い出しとキャンプ地への移動です。買い出しに張り切って仕切る者、テント設営の早い者、料理上手に火起こし職人…ここでも自然と役割分担され、一日の中でももっとも楽しい宴の準備が進んでいきます(ちなみに私は焼きそば調理担当でした)。
夜は勿論宴会です。今日はどこのキャンプ場の空の下。気の置けない仲間達と火を囲み、今日一日の反省と明日の予定を語らいながら飲むのです。
米は炊いたり炊かなかったり。同じ釜の飯を食った仲、なんて言葉がありますが、自分達で苦心して飯盒で炊いた米を分け合った、まさに同じ飯盒の飯を食った仲です。この時の連中とは今でも親密に、よく遊んだり都内で飲んだりしています。

この旅は生涯忘れられない、今回の日本一周をもってしても超えられない、人生で最高の旅だったと思っています。今でも同じような事を続けているわけですが、それを気の置けない仲間十数人と共にする機会は二度と無い。まさに黄金の日々でした。
そしてこの時の旅で、私は金を遣わずに旅する素晴らしさに呑み込まれていったのです。
そうやって夏の北海道を駆けている間、車の車窓から、またキャンプ場で、一風変わった人達が頻繁に私の目に留まりました。それがバイクに大荷物を積んで移動する旅人、いわゆる「ツーリングライダー」だったのです。
(つづく)





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旅人の系譜⑥ ~ビートで日本中を駆けた~

仲間との北海道廃線探索の旅は、私の旅人人生の様々な意味での転換点となりました。
その最も大きな一つがテント泊です。極力金を遣わないで長旅を続けるためには、一番高い宿泊費を抑えること。宿泊費をほぼ無料とするテント泊はまさに旅の象徴とも言えます。
キャンプ場に道の駅、公園、海岸に駐車場など、この日本一周でも様々な場所でテント泊を続けました。それが無ければ絶対に日本一周の成功はなかった筈です。日本の宿泊費は高過ぎる。

そんなテント泊を初めて経験したのもこの北海道の旅でした。テント泊に自炊といった貧乏旅のノウハウを、この時に習得する事が出来たのです。
自分のテントやその他キャンプ道具も購入し、それ以後は旅の幅がさらに広がっていきました。そして車にも影響が。
それまでは車の中で寝られる事を便利に思っていましたが、やがて私はそんな貧乏臭い発想から脱け出し、「旅が似合う車が欲しい」と思うようになりました。元来の車好きも高じて、その思いは結実し、遂にホンダ・ビートを所有することとなります。
絶対に中で寝られない車。荷物もほぼ詰めない車。だが、テントと寝袋さえ押し込めれば大丈夫。
かくして私は、ビートを駆って日本中を駆け巡り、沖縄県以外のすべての都道府県に小さな黄色いオープンカーの足跡を残しました。余りにも荷物が積めないので(何せ一人用テントがトランクに入らない)、時に助手席を外して出掛けることもありました。
限られた荷物しか詰めなければ、人は知恵を絞ります。工夫します。道具の選定も厳しくなる。そうやって試行錯誤の上小さな車体に旅の荷物を詰め込んで、屋根を開けて風を切り、土地の風に吹かれ埃にまみれて、非力なエンジンで頑張って峠を越え、美しい我が国土のあちこちを巡りました。今考えても、後にも先にもこんなに贅沢な車はありません。いつかまた極上のビートを探して所有したいと思っています。

そんなビートの旅の中でも白眉といえるのが、三週間にも渡って夏の北海道を一人で回った旅でした。
ビートを買った時からずっと思い描いていたのです。あの時の廃線ツアーのように、テント泊しながら北海道の広大な原野を地平線に向かって走るのだ。いつだって夏の北海道は最高の旅の舞台なのです。一つ違っていたのは、この時はもう一人旅になっていたという事です。しかし、一人でなければ出会えない出会いというものがある。
そう、この時の旅で、さらなる旅の世界を広げる重大な出会いが待っていたのです。それは道東の原野の中、周囲をぐるり地平線に囲まれた丘の上、「旅人の聖地」とも言われる開陽台のキャンプ場でした。そこに私はテントを張っていました。周囲には同じような一人旅のテントがずらり。その殆どがバイクの旅人、ツーリングライダーでした。
そして開陽台の夜に雨が降ってきたのです。
(つづく)





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旅人の系譜⑦ ~開陽台の夜~

北海道、開陽台。周囲のぐるり330度を地平線に囲まれた小高い丘の上からの眺めはまさに絶景。晴れれば知床連山や国後島なども見渡せ、北海道でも有数の観光地として名高い。
その開陽台の小さくて可愛らしい展望台の裏手にはキャンプサイトが広がり、夜には別の顔を見せてくれます。
開陽台は満天の星空を見られる事でも有名で、その美しい星空や、もっとも近い中標津の市街地まで20km以上も離れている、まさに北海道の原野らしい開放感もあって、昔からこのキャンプサイトには長期に渡って逗留する人も多く、「旅人の聖地」と言われてきました。
特にバイクの旅人、ツーリングライダーへの人気は高く「ライダーの聖地」と言われることも。

そんな開陽台展望台のキャンプサイトに、私も一人テントを張っていました。周囲には同じような小さなテントがずらりと並んでいましたが、その主は殆どがツーリングライダーでした。もちろん皆が一人旅です。
そしてちょうど夕食の仕度をしている頃、雨が降ってきたのです。
狭いテントに引っ込んで一人静かに夕食を摂っているであろう人も居ましたが、多くの人は目の前にある展望台の屋根の下に集まってきました。展望台の営業はすでに終わっているので暗く、各々ランタンの明かりを灯します。
いつしか知らない者同士で言葉を交わし始め、やがて宴会となりました。この晩の事は今でも鮮明に覚えています。

一緒に酒を飲んでいるうち、やがて持っていたスパゲティを大量に茹で、周囲に振舞う者が現れました。皆はそれぞれ手に持っていた小さなキャンプ用の食器を差し出し、食べ途中のおかずも乗ったままの上にどかっと麺を貰っては礼を言います。そうなると酒も出てきます。焼酎の巨大ボトルを差し出して一緒にやりましょうだの、ワインを取り出して皆のシェラカップに注いで回る人も。
スパゲティの麺を多く茹で過ぎたため、味付けのソースが足りないようです。
「俺チューブ入りのニンニク持ってますよ」
「バターがある!」
「醤油でよかったら」
「待ってくださいよ、やっぱりこれでしょう。じゃーん、オリーブオイル持ってま~す」「おお~、パチパチパチ」
いつしか宴会は大盛り上がりとなりました。見知らぬ同士が肘付き合わせるように雨を避けて展望台の屋根の下に集まり、酒を飲み交わす。こんな旅の世界があったなんて、知らなかった私には衝撃でした。
翌朝にはまたそれぞれが旅の道具を小さなオートバイの荷台に括りつけ、思い思いの方角を目指して一人走り出すのです。
一人旅の精髄に触れたことをまさしく実感し、眩暈がする思いでした。
この開陽台の夜こそが、私の旅の次なる大きな転機でした。そしてさらに、追い討ちをかけるような話をこの宴会の最中に聞くことになります。彼はバイク旅のツーリングライダー、しかし私と同じホンダ・ビートも所有していたのです。
(つづく)





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旅人の系譜⑧ ~バイク旅への誘い~

バイクというのは面倒な乗り物です。
実質一人しか乗れないし、雨に濡れるし寒いし暑いし、転倒すればすぐに死ぬ。確かに駐車場所をとらないしどんな狭い場所にも入っていけたり、また中型ならば50万も出せば新車が買えるし維持費も安いなど、経済的な利点も多くあります。しかし、ひと昔前は車を持つだけの金が無い若者がまずは皆バイクに乗ったものですが、現代ではバイク乗りというのは余程の好事家しか居ないというのが現状です。

そんなバイクを愛して止まないライダーという人種は、口々にバイクの魅力を語ります。その多くは風を切って走る疾走感、そして開放感という事に尽きます。
しかし私は実際に乗ってみるまで、そんなバイクの魅力について懐疑的でした。あんな重苦しいヘルメットをかぶって開放感などあるものか。まして真夏でも厚着してブーツを履いて…Tシャツ一枚で軽快に、ヘルメットなどで視界を遮らずに乗れるオープンカーの方がよほど開放的に決まっている。そんな風に思い込んでいたのです。
あの日、あの晩の開陽台での宴会の最中、私と同じホンダ・ビートを所有しながらバイクでツーリングに来ていたおじさんと出会わなければ、あるいは今の私のバイク旅は無かったかも知れません。

バイク、バイクと賞賛するが、オープンカーの開放感と魅力をどうせ知らないのだろう。それなのにあんな苦労して荷物を積んで、雨に濡れながらよく走るもんだ…
バイクを知らなかった当時の私は一歩引いた目でツーリングライダー達を眺め、実用性の無いオープンカー乗りは確かに物好きだが、こいつらは物好きでは遥かに上をいくな、と冷ややかな目で見ていました。
そんな私は偶然宴席を共にしたおじさんから衝撃的な話を聞くのです。
「えっ、お兄ちゃんビートに乗ってきたんかいな。わしもビート持ってるんや!」
その大阪のおっちゃんと固い握手を交わし、私はキャンプ道具を積み切れないから今回は助手席を外して来たんですよ。どうやって荷物を積む工夫をしていますか?と質問しました。すると意外な答えが返ってきたのです。
「いや、今回はビートはお留守番でな。バイクで来たんや」
驚きました。
おっちゃんは自分と同じビートに乗り、オープンカーの魅力も知っている筈なのに、わざわざ暑苦しいヘルメットやブーツを着け、ビートよりもさらに荷物の積めないバイクで来たというのです。
何故?私は純粋に疑問に思いました。それに対するおっちゃんの回答は明快でした。
おっちゃんの口から語られたのは、それまで何度も聞かされてきた、まことに陳腐なバイクの魅力でした。風を切る快感、開放感…しかし、同じビート乗りから聞かされたその時、初めて実感を伴って私の胸に響いたのです。
そうだ、確かに理屈でバイクを否定するのは簡単だが、ヘルメットをかぶったことも実際バイクに乗ったこともない自分に何が分かるものか。少なくともこのおっちゃんはオープンカーよりもバイクの方が気持ちいいと思っているのだ。
バイクの魅力を熱く語るおっちゃんは最後にこう締めてくれました。
「確かにビートもええんや。少し迷ったんやけどな。夏の北海道いうたら、やっぱりどうしてもバイクや!」
本当にオープンカーよりも開放的なのか。本当に風を切って走るのはそんなに爽快なのか。本当にビートよりもバイクの方が旅が似合うのか。私は自分で確かめてみたくなったのです。

すぐにバイクも所有する、というわけにはいきませんでしたが、この日を境に私は明確にバイク、いやもっと正確に言えば、バイク旅というものへの興味を持つようになったのです。
(つづく)





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旅人の系譜⑨ ~いよいよバイクを購入~

私の年代(昭和40年代生まれ)で二輪免許を持っているという人は、恐らく、最初に二輪の免許を取ってバイクに乗り、後に自動車の免許も加えて車に乗り始めた、という人が大多数でしょう。ところが、私は違っています。
二輪の免許を取得したのは実に30歳の時でした。

開陽台の夜以降、旅の足としてのバイクへの関心を日に日に強めていた私でしたが、如何せん教習所に通う暇がありません。そんな折偶然手にしたのが、藤原かんいち氏の著作「原チャリ野郎のハラペコ日本一周」でした。
これだ!
と思いました。稲妻に打たれたような衝撃と共に、それまで心の中でくすぶっていたものがにわかに具体的な像となって湧き上がってきたのを今でもはっきりと覚えています。
そうだ、原付という手があるじゃないか!
著作の内容は、50ccのスーパーカブに乗って、氏が僅か10万円という予算で日本一周に挑戦する、という内容でした。そのチャレンジ的な内容はともかくとして、この本にはバイク旅の楽しさ、原付旅の楽しさ、キャンプ旅の楽しさ、貧乏旅の楽しさ、そしてスーパーカブの素晴らしさがぎっしりと詰まっていました。

この本を何度も繰り返し読んだ私は居ても立ってもいられなくなり、その後結構すぐに生涯最初の二輪車、ホンダ・リトルカブを購入することになります。もちろん車の免許だけで運転できる50ccです。そしてそのリトルカブを、いきなり旅仕様で納車したのです。
まず何といっても後ろの荷台をいきなりプレスカブ用の大型に替えた状態で納車。今のカブ110を購入した時とまるでやる事が変わっていない!(爆)
慣らし運転どころか自分がバイクの運転に慣れるのもそこそこに荷台に載せる巨大なボックスまで購入し、いきなりあちこち遠出をしました。流石にそのリトルカブで日本中へ、というところまではいきませんでしたが、青森は大間崎まで自走の上北海道へ渡り、宗谷岬の地を踏んでいます。いよいよ私は本格的なバイク旅の世界へ飛び込んでいったのです。
そうやって原付のカブで旅を続けていくうち、やはりどうしてももう少し速いバイクに乗ってみたいという思いが芽生えてきます。別にスポーツバイクに跨ってすっ飛ばしてみたいわけではないんです。車の流れに乗れず、無茶な追い越しなどもされる50ccは現実的に混合交通の中で安全な乗り物とは言い難い。
そうして30歳になった時に機会が巡ってきたのです。
(つづく)





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旅人の系譜⑩ ~二輪免許の取得と中型バイク購入~

30歳になった時、勤務体系が少し変わり、週に二回ほど午後からの出勤という事になりました。そしてそれは少なくとも五ヶ月間は続く見通しでした。
これは絶好の機会だ!と思いましたね。
仕事が終わった後、夜に教習所へ、という社会人の方も世の中にはいるのでしょうが、私にはそんな事は到底無理。仕事が終わったらとっとと酒飲みたいもんね。しかし、午後から出勤の日に早起きして朝から教習所へ、これなら苦ではありません。この五ヶ月間を利用して二輪の免許を取るしかない!
かくして私は真冬の最中、寒さに震えながら約十年前の学生時代に通った教習所に再び通い、順調に二輪免許を取得したのです。それも、折角の機会なのでいきなり大型免許を取ってしまいました。

晴れて大型二輪免許を手にした私が新たに購入したバイクは…スーパーカブ90でした!(爆)
二度とないかも知れない機会なのでどうせなら、という程度の考えで大型も取ったというだけの話で、大型バイクに乗る予定も願望も特にはありませんでした。そう、一番乗りたかったのは90ccのカブだったのです。教習所の教官もこれは予想できなかっただろうな。
余談ですが、以前日常ブログの記事に書いたのですが、実はこの日本一周には出るかどうか、結構直前まで迷っていました。もし実行に移さなかったら、その費用となった百数十万円をはたいて、ホンダのVFRというバイクを買うつもりでいました。当時は一世代前の型で、排気量800ccの大型ツアラーバイクです。結局今となっても大型バイクはまだ一度も所有したことが無く、運転したのも教習所を出てから僅か数回(試乗車の運転や知人のバイクをちょこっとだけ運転させてもらうなどで、時間にしてもごく短い)だけです。

話を戻しましょう。
カブ90を手にした私は、これこそが旅バイクの究極の完成形だ、と確信し、感動し、賞賛しました。そうしてカブ90での旅が暫く続くのですが、その頃ビートを手放した私は高速道路に乗れる足が無くなってしまいました。そしてそれと同時に、折角免許を取ったのだから一度は中型以上のバイクに乗ってみてもいいのでは…とも思うようになりました。
そして免許取得から遅れること九ヶ月、250ccのバイクを購入することとなったのです。
(つづく)





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Author:ビート★
2009年5月10日、住んでいた部屋を引き払い、250ccのバイクも売り飛ばしてスーパーカブ90で日本一周の旅に出発しました。
道の駅や公園、海辺でテント泊して節約した金を全国の居酒屋巡りと日々のビール代に注ぎ込みつつ、全国を行脚して12月に沖縄に上陸。父親の急病による一時帰郷などを経て、2010年8月3日、念願の日本最西端・与那国島西崎に到達。再び鹿児島からの自走で北上し、2010年10月14日、523日目にして日本一周の旅を完結しました!

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現在、新たな相棒スーパーカブ110を迎え再出発へ向けて準備中です…